プロランナー大迫にとって、箱根駅伝は、必要なかったのか?
早稲田大学に在籍していた時から、大迫はエースでありながら「僕にとっては駅伝は必要ない」と公言していたようです。 箱根駅伝を夢見て、大学4年間に全力を注いだマラソン好きからしたら信じられないのですが本当だったようです。
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— suguru osako (@sugurusako) September 24, 2019
大迫が早稲田大学を選んだ理由
高校創業後は実業団に行く予定だった?
大迫選手は、佐久長聖高校を卒業して実業団に行くつもりだったようで、両角監督には伝えていた。理由が、当時、同級生の田村優宝選手青森山田高校が実業団に行くのを噂で聞いたから、実業団がその当時レベルが高かったから先に強くなられるのが嫌だったからなようだ。
やはり大迫選手はかなりの負けず嫌いで一番でないと気がすまない性格だった
気持ちを変えた両角先生の言葉
気持ちを変えた両角先生の言葉
「おまえは人が決めたから、決めるのか。大学を出たほうがいいし、大学4年間でしか学べない事がある、焦らずゆっくり考えなさい」
文春ebook 走って、悩んで、見つけたこと
その言葉があって大学進学に心が変わったようです。
実際、両角先生には、東海大学を勧められたようです。 監督としたら東海大学に行って欲しかったと思います。おそらくその頃から東海の監督になるのは話があったのかもしれないですねw両角先生は、今年箱根駅伝優勝した名監督です。 佐久長聖からエースは、東海大学に行く流れだったように思います。
佐藤選手 村澤選手と佐久長聖から東海大学から今でも活躍している選手が多いです。
早稲田大学を選んだ本当の理由
当時早稲田大学の監督は、渡辺康幸監督で、
生徒の自主性を伸ばす指導方法が駅伝だけに
力をいれていなかった事が大きかったようです。
また当時は強いメンバーが揃っていたので早稲田大学には自分が挑戦できる環境があったからでしょう、
早稲田大迫が箱根駅伝を重視しなかった理由
大迫選手にとっての箱根駅伝とは大迫選手は、当時から駅伝は好きではない
と言っていた。自分たちがいくら頑張っても輝きをもってフォーカスされるのは、学校であって選手はただの使い捨てにすぎない感じがしてた。
実力がなくても輝かされているみたいなところもあって、大迫選手は、大学時代はメディアに出ることも好きじゃなかった。駅伝で注目をされたところで、世界と戦う実力にはなれないと大学時代感じていた。
だがここまで、はっきり言えるのは、珍しい。
やはり独立して自分の力で生きていくプロ向きの考えの持ち主だと思う。
大迫選手が早稲田大学時代に大事にしたかった事
大迫選手にとって箱根駅伝は、重要ではなかった。
だけど指導者やチーム、大学にとっては箱根駅伝が重要な事はわかっていたようです。
早稲田大学時代の大迫は、トラックのスピードに集中したかった‼️
箱根駅伝を走る事は、50%しか力をさけない事になることが大きなロスになると考えている大迫選手は、早稲田大学時代は、箱根よりトラックを重視した大学時代を送っていた。
箱根駅伝経験者の私でも気持ちは、わかる。
自分は、おもに1500mを得意としていたが、大学に入って一度も走った事がなかった。
二流ランナーだった私は、箱根駅伝に出たいだけの学生生活を送っていたから、泥臭く長い距離しか走ってなかった。 箱根駅伝を走る為には
どうしても、距離を踏む練習になってしまう
天才ランナー早稲田渡辺監督と大迫選手
自分も箱根駅伝の強豪校にいましたが、 強い選手ですら、やはり監督、コーチの意見に従って当然、むしろ箱根駅伝が最重要であるのが、当然と考えがちで、普通ならチームから浮いた存在になりがちです。渡辺康幸監督は、大迫選手の事を理解して、大迫選手のやりたい道を進ませてくれていたようです。
渡辺康幸さんは、大学時代から世界と闘っていた選手でした。 自分も渡辺選手の走りを見た事があるが、当時世界レベルの日本選手だった事は間違いない!渡辺監督は、海外のレースで当時27分台で走っていた。だからこそ大迫選手の気持ちがわかり指導できたと思う。渡辺監督もアキレス腱さえ痛めなければ、マラソンで成功できたと私は思う。天才派渡辺さんだったから大迫選手の気持ちがわかっていたと思います。
昔の考えの箱根駅伝を目指すチームだったら、大迫選手は許されるない感があっただろう
早稲田大学時代からアメリカで練習
大学三年からは、アメリカでトレーニングを
するようになったようです。そこではやはり今まで重視していなかった、ウエイトトレーニングなどを取り入れたりと、競技のプラスになる刺激を受けていたようです。
ですが、大学3年生4年生で区間賞がとれなかったのは、仕方のない事だったと陸上していた人間からしたら思います。 やはり箱根駅伝は20キロの距離をはしるので、スピードより持久力の走り込みが重要になるので
早稲田大学競争部のキャプテンに
大迫選手は、4年の時にキャプテンに就任します。 チームをまとめていく気持ちはあったがキャプテンだから頑張るとかはなく、ただの象徴として捉えていたようです。
箱根駅伝前には、それまで出てなかった朝練習に出たりしたそうです。
気持ちが弱い選手や自分の考えに固着している選手には注意とかはしていたみたいです。
大迫選手学生結婚していた?奥様は?
大迫選手は早稲田大学時代2013年に、SKE卒業生橋本あゆみさんと学生結婚していたと、日本記録を出した際に話題になっていました。
渡辺監督もデリケートな問題だったからと言っていました。箱根駅伝選手が学生結婚しるとなるとやはり、衝撃的なニュースになってしまいますから、当時の渡辺監督の大迫選手の学生結婚の時は、色々あった事は想像できます。
現在は、奥様と二人のお子様がいらしゃるようです。
大迫選手にとって、箱根駅伝は本当に大切では無かったようです。 世界を目指す上では、自分にとってロスとして捉えていたと思えます。
正直、昔の考えのひとり社長からしたら信じられない考えですが、 本気で世界と闘っていこうという気持ちが伝わります。
普通は、箱根駅伝をステップに世界やマラソンを目指しますと思いがちですが大迫選手は箱根駅伝を飛びこして、最初から世界を目指していた事がはっきりわかりました。
大迫選手箱根駅伝全成績
大学一年箱根駅伝
第87回箱根駅伝
1区 区間賞 1時間2分22秒
早稲田大学 総合優勝
大学二年箱根駅伝
第88回箱根駅伝
1区 区間賞1時間2分3秒
早稲田大学 総合4位
大学三年箱根駅伝
第89回箱根駅伝
3区 2位 1時間4分44秒
早稲田大学 総合5位
大学四年箱根駅伝
第90回箱根駅伝
1区 5位 1時間2分14秒
早稲田大学 総合4位
大迫選手の箱根駅伝の活躍を見れば、輝かしい成績です。 大迫選手を知れば知るほど、自分の求める世界を視野に入れた目標の高さと、プロとしての勝負にかける心の強さを感じました。
大迫選手にとっては、マラソンというスポーツを極める為に、自分が今必要としているものを
セレクトしてきた結果が今の彼のプロランナーとしての礎を築いてきたと思います。
私も一回りも大迫選手とは、違いますが学ぶ事が多いランナーです。
今回の記事の内容は、
文春ebook 走って、悩んで、見つけたこと
を読んで、箱根駅伝に関する記事で印象に残ってるいる部分で、箱根駅伝と大迫選手とつなげてみました。
大迫選手の本に、私が伝えきれなかった部分で心に響く記事がたくさんあるとは思います。
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